taigakawashimaの日記

超ポジティブな男子大学生。将来の夢や目標を語っています。元気がない方や、自信がない方を勇気づけるブログです。一度読んで見てほしい。

久しぶりです

昨日は友達の家に泊まりに行きました。

 

みんなと一緒に考えたい。自分は小さいころから友達の家に行く。というとお母さんにこれ持っていきなとおかしなどを渡された。これはすごい大事なことだと思う。

自分も昨日お菓子と果物を持って行った。

 

これができる人とできない人では今後の人生を大きく変えると思う。これをできる人は気が使える人だ。気が使える人、常識がある人とは、一緒に過ごしていきたいと思う。

招待者は「いらないよ」というかもしれない、それを真に受けてなにも持って行かないのは違うと思う。相手に思いやりを持つことが大事。

 

相手の思いやりということで話を変える。

自分は体操のコーチと水泳のコーチのアルバイトをしている。教えている年齢は幼稚園生から小学高学年まで幅広い。その中で左手を失っている子がいる。その子はまだ小さい。水慣れのクラスだ。その子を見ていると勇気をもらえる。左手を失っていて、生活が不便だと思う。今はまだ小さいからお母さんなどが色々してくれるかもしれない。だからまだあまり嫌な感じはしないと思う。しかしだんだん大きくなるにつれて、物心がつき自分でいろいろしなければならない。そうなったときにその子はどうなるか。その周りの子はどうするか。そこがその子の人生を変えると思う。

その同じクラスの女の子が「コーチ、あの子手ないけどどうしたの」と言ってきた。正直びっくりした。自分はその男の子を見た時に「残念ながら手を失ってしまったんだろう」と理解できた。しかし女の子には理解できなかった。それは当然だろう。まだ5歳になったばかり。知らないことだらけだろう。

自分は「世界にはそういう子もたくさんいるんだよ。仲良くしてあげてね」といった。これが世間的には正しいのかはわからないが、女の子を理解させ、男の子を傷つけないようにする言い方はこれしかとっさに思いつかなかった。

 

いじめの話をしたときでも話したが、この男の子が人生を生き生きするには周りのサポートが必要だと思う。「あいつ手ないじゃん」そんなひどいことを言う人もこの世の中にはいる。そういうやつらはそれが悪いことだと思ってないから言える。そういうやつらは親もだいたいおかしい。自分も小さいときはそのような子を見た時は親に「どうしてないの」と聞いただろう。お母さんは「そういう子もいるの。失いたくて失っているんじゃないよ。病気とか怪我とかで仕方なく切っているんだよ。仲良くしなさい。」と言ってくれた。自分がどのような言い方で聞いたのは覚えていないが、お母さんの返答は覚えている。

 

これから手を失った状態で生きていく男の子に言いたい。この先絶対、それをマイナスに思ってしまうことがあるだろう。周りに冷やかしてくる子も現れるだろう。それは避けられない。いじめられるかもしれない。けど、頑張って生きてほしい。プールや体操を頑張っている君の姿はすごくかっこいい。自分が頑張ってサポートしてあげなきゃいけないなと思う。この先何があっても堂々と生きるんだよ!と言いたいが、まだ小さいし、このようなこと言っても何のことかわからないと思う。

 

自分の周りにこの男の子のような人がいたら全力で助けよう。言い方が悪いが、このような方がいるからこそ、自分たちは幸せだと感じられる。ならその幸せだと思う気持ちを、サポートという形で返そう。目が見えない方がいたら、いつでも助けにいけるように少し気に掛ける。横断歩道を渡ろうとしていたら自分は必ず後ろに行く。理由はいつでも助けられる位置だからだ。

 

最後に自分は絶対このような人たちを「障害者」と呼べない。だから今日の文は読みにくいかもしれない。それでも呼びたくはない。なんで自分から望んで能力や、体の一部を失ったわけでもないのに、障害者など呼ばれなきゃいけないのか。この言葉はなくすべき。傷つくどころじゃない。お母さんが頑張って産んだ子をそんな呼び方されたら悲しむだろう。自分の子供がもしそのような形で生まれてきても自分は責任もって最後まで育てる。子供は神様からの授かりものだと言うが、「この夫婦なら任せられる」と神様が思ってくれているから自分たちのもとに来たのだろう。信頼されている証拠だ。

 

あの男の子がこれからの人生を堂々と生きれるように全力でサポートしていきます。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。色々な人が住みやすい日本にしよう。

前向いて堂々と生きよう!